ジョセフ・マッカーシー上院議員(1909〜57年)

第二次世界大戦後の1950年2月、共和党マッカーシー上院議員は「国務省の中に、205名の共産党員がいる」という衝撃的な演説を行った。内容は根拠のないものであったが、第二次世界大戦後の国際的な共産勢力の拡大を警戒していたアメリカ国民の不安を刺激し、マッカーシーは反共の英雄としてマスコミで人気となった。映画史に残る名作"Citizen Kane(市民ケーン)"(1941)のモデルになった新聞王William Randolph Hearst(ウイリアムランドルフ・ハースト)も彼を褒め称えた。
1953年に共和党政権になると、彼は共産主義活動調査委員長として元国務長官アチソン・ラチモア教授を初め、民主党内のリベラル派を攻撃の的とした。さらに下院の非米活動調査委員会なども、知識人・芸術家をも調査の対象にして「赤」のレッテルをはった。これが共和党の悪名高き「赤狩り共産主義者攻撃)」でハリウッドからも多くの才能が失われた。共産党にかかわりのあったLeo Townsend(レオ・タウンゼント:脚本家)、Isobel Lennart(イソベル・レナート:脚本家)、Roy Huggins(ロイ・ハギンズ:プロデューサー)、Richard Collins(リチャード・コリンズ:脚本家)、Lee J. Cobb(リー・J・コッブ:俳優)、Budd Schulber(バッド・シュールバーグ:脚本家)やElia Kazan(エリア・カザン:映画監督:写真大:左はプレゼンターのMartin Scorsese〈マーティン・スコセッシ〉)らは刑務所に入ることを恐れ、以前左翼グループのメンバーだった同胞の名前を証言した。第71回アカデミー賞授賞式(98年度)でKazanに名誉賞が授与されたときに抗議デモが催されたり、受賞の際に席を立たずに批判的態度をとった出席者が多くいたのはこのことが原因である。監督としては一流であってもハリウッドは彼の裏切りを忘れていないのだ。
320人以上の人々が保身のための密告によりブラックリストに載り、業界で働けなくなったり刑務所に送られたりした。当時B級俳優だった故レーガン大統領も妻ナンシーをかばう為に映画人を密告したといわれている。
"Roman Holiday(邦題:ローマの休日)"(1953) や"The Brave One(邦題:黒い牡牛)"(1956)などで知られるDalton Trumbo(ダルトン・トランボ)と"Bridge Over the River Kwai(邦題:戦場にかける橋)"(1957)のMichael Wilson(マイケル・ウィルソン:偽名James O'Donnell)ら何人かの脚本家は偽名を用いたり、クレジット無しで活動を続けた。Trumboは"The Brave One"でRobert Rich(ロバート・リッチ)、"Roman Holiday"でIan McLellan Hunter(イアン・マクレラン・ハンター)という偽名を用いたことが公表されている。彼は"The Brave One"でアカデミー脚本賞原案部門を受賞しても名乗り出ることが出来なかった悲運の脚本家だ。