The Smiths's History

Morrisseyニューヨーク・ドールズのファン・クラブに入り、髪を緑に染めていたため周りから変な奴と思われていた。孤独で友達もおらず、20代になっても親と同居し、自宅の公団住宅にこもって好きなオスカー・ワイルドの本を読んだり、ポップ・ミュージックを聴き、空想したりして過ごしていた。
一方Johnny Marrは洋服屋でバイトをしながらギターの腕を磨き、作曲することを楽しんでいた。彼はおしゃれで有名だったという。
Johnnyはある日、NMEへの投稿で一目置かれていたMorrisseyの家を訪ねる。意気投合した二人はSmithsを結成、"Suffer little children"(内容はモーアズ・マーダーというヘヴィなテーマ。)と"The hand that rocks the cradle"のデモを早速作成し、Andy Rourke(アンディ・ルーク:b.)、Mike Joyce(マイク・ジョイス:ds.)を加え、ライブ活動を始める。
Smithsの曲は、Johnnyがギターを使いほぼ完成の域まで曲を作ってからMorrisseyに渡し、彼が詞を付けるというスタイルがとられた。
Johnnyが後に語ったところによると、ヴォーカル・ラインの入ってる曲も入ってない曲も渡していたそうだが、たとえ入っていたとしてもMorrisseyが変えて歌ってしまうことが多かったそうだ。大抵はラインが変わったことで曲は良くなったという。

83年5月、Rough Trade(ラフ・トレード)からシングル"Hand in glove"でデビューすると彼らは瞬く間に人気となり、Morrisseyは自らが「希望の象徴」と語る花をステージに持ち込み、グラジオラスを腰に差してクネクネと踊るパフォーマンスが話題となる。また、彼らのすべてのレコード・ジャケットにはMorrisseyの好きなクラシック映画のワンシーンが使われ、作品の完成度をさらに高めていた。11月シングル"This charming man"をリリースし、UKチャート25位を記録する。 

84年2月、1stアルバム"The Smiths"をリリースしUKチャート2位の大ヒット。ジャケットはウォーホルの映画"フレッシュ"の一場面「客に娶られる男娼」だった。
2ndアルバム"Hatful of Hollow"リリース。
ここに収録されている有名ラジオ番組"ジョン・ピール・セッション"への出演は、最初のシングル"Hand in glove"が発売される前から決まっていたという。そのラジオ番組でSmithsは「彼らを称し、北の最後の審判を予知する新たなる予言者達だなどと言う人もいますが・・」と紹介されている。
また、この放送をきっかけに"Reel around the fountain"の歌詞が小児性愛をテーマにしていると、サン紙に指摘され問題になる。   
この年インディ・チャートのトップ3独占という快挙を成し遂げ英国内で人気、実力ともにトップ・クラスのインディ・バンドとなる。Morrisseyのパフォーマンスはさらに過激になり、政府から支給される補聴器をしてTVライブに出演し物議をかもす。

85年3rdアルバム"Meat Is Murder"リリース。UK1位を獲得する。「食肉は殺人だ」という衝撃的なタイトル・トラックが話題になる。Morrisseyは菜食主義を宣言し、発言が政治色を増してくる。

この頃、Andyがドラッグ問題で抜け(Morrisseyはドラッグを軽蔑している)、かつて人気ネオアコバンドAztec Camera(アズテック・カメラ)やThe Bluebells(ザ・ブルーベルズ)で演奏していたCraig Gannon(クレイグ・ギャノン)が加入する。後にMikeは「Johnnyがオーバーダブしたギターをライブで再現するために入れただけ」で「5人目のSmithsと言われたけど実際にはそんな感じではじゃなかった」という。しかしすぐにクビになり、再びAndyが復帰している。

86年、UK音楽史上に燦然と輝く4thアルバム"The Queen Is Dead"リリース。UK2位。「王室に対する非難」というタブーを公然とやってのけ、イギリス全土にセンセーションを巻き起こす。シングル"Panic""Ask"などもチャートの上位をにぎわす。"Panic"はRadio1でチェルノブイリ原発事故の速報のすぐ後に、WHAM!(ワム)の"I'm Your Man"をかけたDJに対する痛烈な批判を歌にしたものだが、「DJを吊るせ」という歌詞によりDJ=主に黒人という解釈から、人種差別だと非難を浴びる。

87年9月、EMIに移籍するがRough Tradeとの契約が残っていたため、85年以降のシングルを集めたコンピレーション・アルバム"The World Won't Listen"をリリースする。
メジャー契約を結び、さらなる飛躍が期待されていたSmithsだったが、EMI移籍直前の8月にサウンドの要Johnnyが突然脱退。バンドは解散してしまう。
初期の段階ではマネージャーのジョーとJohnnyがバンドの方向性を話し合っていたが、次第にMorrisseyがコントロールをとりたがるようになった。Morrisseyは、Johnnyに対する所有欲から、二人の間に入ってくる人間をことごとく締め出そうとした。それはマネージャーのジョー、プロデューサーのジョン・ポーター、そしてJohnnyの妻アンジーに対しても例外ではなかった。こういった彼の思いに答えられなくなったのが脱退の理由だとされている。
そして、最後のアルバム"Strangeways, Here We Come"リリース。イギリス最古の刑務所の名前をつけたこのアルバムの最後の曲でMorrisseyはこう静かに歌う。「I Won't Share You(僕は君を誰かと分けあったりしない)」それはMorrisseyからJohnnyへのラヴソングだった。
ソロになったMorrisseyは折りに触れ、Johnnyへの未練を歌中でもインタビューでも語っている。